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京のまちと本能学区の変遷 |
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| 慶応4年8月の京都府布令書3により上京45下京41の番組が決まり、明治2年正月下京の番組の改組があり、41の番組が35の番組となり、その時本能学区は下京2番組と呼称されました、27町にて本能学区と呼ばれました。 明治時代に西洞院川の暗渠(あんきょ)工事があり、第二次世界大戦時において、焼夷弾による類焼を食いとめる為、家屋が密集している市中心部重要施設(小中学校等)官公庁 病院 社寺などの周辺の空地作りのため、昭和19年7月に第一次強制疎開 8月の第二次疎開で計27ヶ所3万8千坪昭和20年3月の第三次疎開では140ヶ所36万4千坪と一挙に拡大、この中の空地帯作り4ヶ所20万2千坪が今日の堀川通り御池通り五条通りと成りました(防火ベルトとして。)第一次〜三次までの合計立ち退き家屋数は2706戸と記録されています。第四次疎開は、174ヶ所26万坪7672戸と数字が残されていますが、8月5日から取り壊し始めて15日正午の玉音放送で中止されるまでの、実際に空地になった面積や戸数は不明のままです。この時は3日 間で立ち退けとの命令だったそうです。京都が受けた戦災です。 本能学区に於いても、強制疎開で消えた町内があります。堀川通りに家が建っていて、多くの住民の方がおられましたし、亀屋町に於いても空也堂ガレージの部分に家が建ちならんでいたとお聞きしております。 現在は町数 24 (四坊堀川町を含む)となっております。 昭和4年4月 中京区誕生時 人口は 158、000人 昭和16年10月1日現在 人口は 167,364人 世帯数 34,928 平成7年11月 90,876人 38,771 平成15年11月 98,708人 48,411 平成19年8月1日 102,243人 52,508 本能学区では 昭和16年10月1日現在 人口 6,094人 世帯数 1,115 平成4年度 本能小学校閉校年度 2,578人 1,033 平成19年8月1日現在 4,589人 2,411 ( 男 2,043人 女 2,546人 ) 本能学区 人口 世帯数も増加の一途 住み良いまち 住みたいまち 賑わえるまちに 確実に発展しているとおもいます。 資料は 本能 閉校記念誌 本能校百年史 中京区役所 市役所本庁情報公開課 中京区制60周年記念誌 京・なかぎょう 本籍京都市 昭和ひと桁 ふるさとへの想い 世代の証言 著者 林田 庄治様 文章 引用 |
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| 中京区制60周年記念誌「京・なかぎょう」橋野傳一様撮影 | |
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| 追記 西洞院川は明治38年市電(チンチン電車)の開通にあたって暗渠化されました。 京都駅〜北野の天神さん間を走り、昭和36年7月31日 廃止されました。 市役所本庁にて、戦争中の町内会別の資料を調べましたら塩屋町が藍屋町にて記載されており、職員の方に質問 ほかの資料等でわかりました。当時染色業染料屋さんの多いまちで、そう呼ばれていたのではないかと...。 四坊堀川町は亀屋町と一緒になり、亀屋堀川町として記載町内会とされておりました。 平成19年9月14日 山田町 村田 茂雄 |
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