雲が愛宕参りどすさかいに

 
明治になり遷都となり、多くのひとびとが東京へ 京都のまちが寂れてゆく。
そこで京都の町衆は奮起 文明開化をいち早く取り入れました。
明治2年わが国最初の番組小学校64校の創設 ちんちん電車(市電)蹴上の発電所 琵琶湖疏水 遷都1100年平安神宮造営 博覧会の開催等、そこで雲が愛宕参りどすさかいにをとりあげたいと。
京都に気象台が置かれたのは、明治13年1月(1880年)京都御苑内がスタートでした。なんでも日本最初に取り組んできた京都にとって無念にも、東京に一歩遅れをとりました。気象台そのものの発案は京都の方が早かったそうです。京都産業の基礎をスタートさせたのは、舎密局(せいみきょく)をつくった理化学者の明石博高氏です。
2番になったのは、外国に注文していた機器の到着の遅れが原因だそうです。
現在京都地方気象台は、中京区西ノ京笠殿町38西大路太子道交差点より東へ約50mにあり、桜の開花予報樹があります。
京都人がお天気をあらかじめ知るには、古くからの言い伝えがあります。雲の動きで判断する方法です。
風が東から吹くと雨、西北から吹くと晴れ その風向きをてっとり早く知るのが、雲の動きです。京都のまちはどこからでも、東に比叡山をはじめとする三十六峰 西に愛宕山が見えます。
きょうは、傘もっておいきやすや 雲が愛宕参りどすさかいに。
逆に晴れになる西北の風で、雲が東南に移動するのを 稲荷参り 伏見参りと呼びます。

 
 
 
舎密局のあった場所は、河原町通二条東入る現在の銅駝美術工芸高等学校あたりにあったそうです。この一帯に産業施設が建てられたそうです。高瀬川一之船入りの北側木屋町二条に島津創業記念館があります。明治中期(1890年代)の本店です。

                                                      平成19年7月9日
                                                   山田町   村田 茂雄